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宇宙旅行は「楽しい」か [科学]

 錯覚し易いのだが、宇宙にオリオン座という「場所」は存在しない。あれは地球から見た時に平面的にあの形に並んでいるのが見えるだけで、実際には同じ距離ではなく、更に星座を構成するそれぞれの星間距離は途轍もなく長いので、「近く」まで行ったら何か平面みたいな星の並びが見られるというのは間違いである。同様に、太陽系を外から俯瞰した場合、すべての惑星が一度に見られる距離から観察したら、各惑星の大きさは余りにも小さくなってしまい、もしかしたら見えない可能性すらあり得る。
 考えてみれば、こんなことは飛行機に乗って雲の中まで入ってしまえば、それが実は唯の霧になってしまうことで判っている筈のことだ。いや、飛行機すらいらない。高い山に登って霧に巻き込まれたら、それは雲の中にいるのかも知れないのだから。
 こう考えてくると、色々なことが錯覚であろうと思われる。土星まで行っても輪を板のようには見られないし、馬の首暗黒星雲の中が真っ暗な訳でもない。アルファ・ケンタウリに行ってみれば、そこにある恒星は我々の太陽とほとんど同じに見える筈だ。
 つまりは、宇宙旅行をしてみても、一般の観光ツァーのようになるのかなあ、と思うのである。今のように厳しい訓練をして、長い間狭い空間に閉じ込められるのではなく、客船に乗る位の感覚で宇宙船に搭乗出来るようになれば、土星の輪を近くで見るツァーは現れるとは思う。だがそれは、飛行機で雲に近づくのと同じ結果になりはしないか。
 まあ、地球を外から見てみたいとは思うし、月面で飛び跳ねるのは面白いだろうとは想像される。そこそこ簡単に行けるのなら、どんな所に旅行するのも良かろう。しかし、恒星感飛行が気軽に出来るようになっても、そんなに違うものが見られるのかどうか、案外他の恒星系で見られるほとんどのものは地球にあるのではないか、そんな風に考えてしまうのだ。勿論、実際に行ってみれば驚くような物が見つかるかも知れないが、生物が発生している分、地球の方が豊富な変化が楽しめるのではないか。そうなると、学術的な見聞や特殊な体験は別として、普通に物見遊山する為の宇宙旅行には、甚だ疑問が残るのである。少なくとも、宇宙なんて何処まで行っても変わらないなあ、ということになりはしないかと考えるのだ。そうなったらなったで、大きな進歩なのではあるとしても。

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宇宙は余りにも大きいが、しかし……。 [科学]

 宇宙は余りにも大きく、恐らく人類は永久にそのほんのちっぽけな領域から出られない。時にこのことは、ロマンよりも絶望を呼んでしまう。
 しかし宇宙が、例えば100光年くらいの大きさしかなくて、星がそれに見合う数しかなかったらどうなるか。一般相対性理論によれば、遠心力や慣性力がなくなってしまうのである。つまり、地球は太陽に落っこちてしまう。我々が日々安心して暮らせるのは、実は宇宙がこれだけ大きくて、無数の天体があるからなのだ。
 そう考えると、たかが私が自然薯蕎麦を美味しく食べる為に百億光年を超える宇宙の大きさが必要ということになってしまい、むしろ愉快になってくる。つまるところ、宇宙の大きさは生活からかけ離れたものではなく、充分に実用的な「関係」はあるわけなのだ。古代人が空を見上げて色々な想いを巡らせた時、まさか、神とかとは関係なくとも、あの空の彼方の星々が実生活を支えててるなんて、考えてもみなかったろう。

タグ:SF 宇宙 科学
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